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愛しかない時 Quand on n'a que l'amour
(2022.11.22更新)


■ジャック・ブレルについて



ジャック・ブレルJacques Brel(1929年―1978年)はベルギー出身のシャンソン歌手。
作詞作曲家でもあり、俳優、映画監督としても活躍しました。

彼は板紙工場を経営する父の会社をエンジニアとして手伝いながら1950年代初期よりナイトクラブで歌い、1953年にレコードを発売。それを機に単身パリへ。
キャバレーやミュージックホールなどで歌いながら作品を作り続け、1954年に初のアルバムを発表。この中の一曲「オーケー悪魔 (Le Diable "Ca va")をジュリエット・グ レコがリサイタルで歌ったことで、彼の名は知られるようになったそうです。

ジャック・ブレルが1956年に発表した「愛しかない時Quand on n'a que l'amour」 は翌57年に、アカデミー・シャルル・クロAcademie Charles-Crosのグランプリを 受賞。彼の最初の大ヒット曲となりました。
その後、数々のヒット曲を出しフランスの 国民的スターの座を不動のものとしていきます。


■時代背景にアルジェリア戦争

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今回取り上げる「愛しかない時Quand on n'a que l'amour」が1956年に発表されたと き、フランスはアルジェリア戦争(1954年―1962年)の真っ只中でした。

この戦争はフランス領アルジェリアで勃発したフランス支配に対する独立戦争ですが、
民族紛争でもあり、内戦でもあるという複雑な対立構造を内包し、泥沼化していきます。
当時のフランス本国は第二次世界大戦や第一次インドシナ戦争で疲弊し、FLN(アルジェリア民族解放戦線)の爆弾テロも続く中、国内では厭戦気分が蔓延していました 。
そんな時代にジャック・ブレルの反戦歌「愛しかない時」は発表されたのです。

国際社会では植民地主義が終焉を迎えつつあり、1958年、シャルル・ド・ゴールが大統領に就任すると、彼は増大する戦費に疲弊するフランス経済等、総合的に判断しアルジェリアの民族自決を支持します。
1961年の国民投票の過半数もそれを支持し、1962年3月エヴィアン協定を締結。戦争は終結しました。

ジャック・ブレルの「愛しかない時」が戦争終結へのフランス国内の世論を盛り上げ たことは否めないでしょう。
静かにシンプルな言葉が反戦の想いを人々の心に深く訴えかけてきます。


■アルジェリア戦争が背景の仏映画”シェルヴ―ルの雨傘“

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ジャック・ブレルと交流のあったミッシェル・ルグランが音楽を担当したジャック・ドゥミ監督のフランス映画「シェルプールの雨傘」(1964年)の物語もアルジェリア戦争が背景にありました。
主人公の恋人同士が戦争によって離ればなれになり、カトリーヌ・ドヌーヴ演じる主人公は戦地の恋人からの便りが途絶えがちになり不安を募らせてゆきます。
そして数年後、互いに家族を持つ二人が再会したとき、思いを封印し二人は何事もなかったかのように別々の人生を歩んでいくのです。
ミッシェル・ルグランの印象に残る音楽の美しさと、カトリーヌ・ドヌーヴの目を見張る美しさに心奪われる作品ですが、この映画も反戦へのメッセージを含んでいると思います。


■戦争と芸術家

ジャック・ブレルもミッシェル・ルグランもジャック・ドゥミ監督も…創造的な仕事をする人たちは、自分にしかできない手段で平和を訴えてきました。

ボスニア紛争に翻弄されたヤドランカも、サラエボにミサイルが発射された映像を日本のTVニュースで見て、いてもたってもいられず、祖国の人達に届けたい一心で「 愛は光よりも速く」という作品を作りました。
(アルバム「サラエボバラード」に収録)
また彼女の「信じているの」という作品はボスニア紛争後、彼女は反戦への更なるメッセージを込めて歌っています。
(アルバム「シュトテネーマ〜あの歌が聴こえる」にも収録)

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歌い継がれる「愛しかない時」

ジャック・ブレルの「愛しかない時Quand on n'a que l'amour」は、
その後、ダリダ、ララ・ファビアン、シルヴィー・ヴァルタン、パトリシアカース、セリーヌ ・ディオン等、多くの歌手にカバーされています。 日本でも多くの歌手がカバーしています。


■クミコさんの歌う「愛しかない時」

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https://www.youtube.com/watch?v=5PFWs4KxTNM&t=10s

ヤドランカの友人、クミコさんは40年前「銀巴里」で歌手デビューした頃、来日していたアンナ・プリュクナルのコンサートでこの「愛しかない時」を聴き、胸元に歌の 切っ先が突きつけられたように感じたと語っています。
ナチスの迫害を受けたポーランド生まれのアンナ・プリュクナルは、自身の父親もナチスに殺された経験を持っていました。
そんな彼女の怒りと悲しみに満ちた「愛しか ない時」を聴いて「私も唄いたい、唄わなければ」とクミコさんは思ったのだそうです。

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今年1月、歌手デビュー40周年を迎えたクミコさんは、自分の歌の原点のひとつでもあるこの歌を、今の歌として残したいと思いリリースすることにしました。(日本語詞もクミコさんによるもの)

ところがレコーディングを目前に控えた2月末、ロシアによるウクライナへの侵攻が勃発。
ウクライナへ二度ほど仕事で訪れたことがあるクミコさんは、この反戦歌とどう向かい合うべきか悩み、一時は歌えない状況になってしまいました。
そんな時、交流のあったキーウ近郊在住のウクライナ人通訳、ヴィタリーさんから、家族と共に国内の西側へ逃げる車の中でクミコさんの歌を聴いているとメールが届きます。
クミコさんはすぐに「愛しかない時」をアカペラで歌い、その動画を送ったところ、
「歌を聴いて涙があふれました。その涙と共に悲しみが少し体の外へ出ていきました」
とヴィタリーさんからメッセージが返ってきたのだそうです。

クミコさんはこれを機に、今は無力に感じるけれど、平和を願い歌い続けること、それが歌い手に唯一できることなのではないかと思い、 「愛しかない時」を歌い続けていくことを決意したそうです。
この歌は来年1月6日(金)吉祥寺スターパインスカフェで開催される「ヤドランカ生誕祭 New Yearトリビュートライブ」でもヤドランカの仲間のミュージシャンと共に クミコさんが歌う予定です。

戦争は昔のことでも、遠くの出来事でもありません。
私達は世界のどこかで起こっている悲劇から目をそらしてはいけないし、
平和の為に一人一人が声をあげていくことがとても大事。
それゆえ歌の力を信じたい。
今強くそう思います。

友利歩未


 
追悼盤
「Hvala フヴァーラ 〜ありがとう ヤドランカ・ベスト」


ニューアルバム
「シュトテネーマ〜あの歌が聴こえる〜」

日本コロムビア ご試聴・ご購入サイト
https://columbia.jp/artist-info/jadranka/discography/album.html


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