あれから15年位、経つでしょうか...
5月のある日、世田谷のヤドランカの家を訪ねると
「歩未さん!スミレの花が咲いたよ!」
ヤドランカは嬉しそうに私に言うのでした。
彼女がマンションのベランダで育てていたスミレの蕾が
その日の朝、かわいい花を咲かせたとのこと。
「今日は私のお母さんの誕生日だから、びっくり!本当にびっくり!」
ヤドランカのお母さんはLJUBICA(リュビッツァ)という名前。
クロアチア語でスミレという意味です。
母を想ってスミレの鉢に毎朝お水をあげて育てていたヤドランカ。
お母さんの誕生日に花が咲いて、とっても嬉しそうでした。
天国のお母さんから、愛が届いた朝だったのです。
アルバムHvalaに収録された「LJUBICA〜すみれ〜」はヤドランカのお母さんとの思い出を
モチーフにした作品。
2010年にリリースされた「アマリア」のカップリング曲です。
ヤドランカの両親は彼女が生まれてすぐ離婚し、ヤドランカは母リュビッツァに引き取られます。
小学校の教師をしていた母は遠方に赴任することが多く、彼女はアドリア海沿岸、ダルマチア地方にある母方の祖母や親戚の家に預けられて育ちました。
(旧ユーゴは社会主義国で女性も重要な労働者として転勤も当たり前だったそう)
夏のバカンスの時季になると、お母さんは帰ってきて、ひと夏をヤドランカと過ごしました。
ヤドランカにとってアドリア海の町で過ごしたお母さんとの日々はいつまでも色褪せない宝物。
ドブロブニクの町 撮影:長原啓子
当時の家は現在のクロアチア、ドブロブニクにあり、数十年後ヤドランカが訪ねた時には、もう違う人が住んでいたと寂しそうに語っていたことを思い出します。
作品にはそんなエピソードも織り込んでいます。
この歌を演奏するとどうしても故郷の母親を思い出して涙が出てくると言うミュージシャンもいました。
また、結婚して実家は男の兄弟が継いでいるという女性は、
「ああ、もう私の生まれた家は違う家になったんだなぁ」とこの歌の哀愁に共感できると感想を寄せてくださいました。
お母さんがつけてくれたヤドランカという名前はクロアチア語で“アドリア海の子”という意味。
それぞれの心にヤドランカの歌は優しいさざ波をたてたのでした。
アドリア海の浜辺 撮影:長原啓子
住んでいた家の玄関に続く階段
撮影:長原啓子
「LJUBICA(リュビッツァ)すみれ」
この作品を作るとき、ヤドランカは私に言いました。
「お母さんのことを歌にするのだから、心を込めて作りたい。歩未さんもどうぞお願い」
ヤドランカのお母さんはボスニア紛争の最中、闘病中の病院で薬が手に入らず亡くなりました。
リュビッツァ、彼女はヤドランカという人間そのものに、大きな影響を与えた人でした。
今日7月24日は彼女がヤドランカを産んだ日です。
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