ヤドランカは15歳の頃、母の買ってきた浮世絵に俳句が添えられた本を目にして
衝撃を受けます。
浮世絵の美しさと今まで知らなかったその表現方法に心を奪われ、
俳句の短い言葉の中に彼女は多くのものを感じ取ったのです。
当時まだ日本語を知らないヤドランカは
俳句をローマ字のまま暗唱して、その言葉の響きを楽しんでいたと言います。
15歳の感性が受け入れた日本の文化は、その後の彼女の人生を
日本へ、日本へと引き寄せてゆきました。
27歳の頃、どうしても大学で美術を学びたかったヤドランカは
サラエボ美術大学に入学します。
(この時、既にフィロゾフスキー大学で哲学と心理学を学んでいた)
忙しい大学生活を送りながら、ヤドランカは音楽家として
アーティスト活動も続けていました。
そんなある日、
ミツバチの生態を追ったドキュメンタリー映画の音楽を担当することに。
この時、少女時代に知った俳句の記憶が甦ります。
そして四つの句を歌詞にし、メロディを付けたのが「俳句HAIKU」という作品。
長原啓子さんの書かれた「アドリア海のおはよう波」によると
ヤドランカは、天気のよかった日の夕方、
ダルマチア(クロアチア共和国のアドリア海沿岸地方)にある家のテラスで、
ギターを抱え曲作りを始めたそうです。
陽が落ちても、石造りのテラスの壁にはまだぬくもりが残っていて、
それがギターをほどよくあたため、やわらかないい音が出たのだそう。
長原さん曰く
「昼間のターコイズブルーの海もすばらしいが
朝に夕に空と水平線と島影が織りなす色模様は
深い藍から浅葱色のグラデーション。
そこに朝陽のまたたき、あるいは夕陽の残照がオレンジ色に流れる。
― ああ、どこかで見たなぁ、この色 ―
と思うと、それが浮世絵なのである」
長原さんはアドリア海の色の表情を、
まるで浮世絵そのままの鮮やかな色合いだと感じたそうです。
ヤドランカも幼い頃から、アドリア海のこの景色を見てきたのでしょう。
長原さんが撮った夕暮れのアドリア海の写真を見て、
ヤドランカは「北斎の絵みたいだ」と言っていたそう。
ヤドランカの「俳句HAIKU」が生まれたエピソードは
「アドリア海のおはよう波 ヤドランカの音と光」に詳しく
書かれています。
ヤドランカを通して、改めて“日本を知る”
そういう本でもあり、読む人の知的な好奇心を刺激します。
ところで、
ヤドランカが「俳句HAIKU」を制作することになったドキュメンタリー映画では
若き日のエミール・クストリツァ(Emir Kusturica)も一緒に仕事をしています。
クストリツァは1995年、映画「アンダーグラウンド」で
カンヌ映画祭のパルムドールを受章した世界的な映画監督。
ちなみにヤドランカの友人で
ユーゴスラヴィアの歴史を研究されている山崎信一さんは
「映画『アンダーグラウンド』を観ましたか?ユーゴスラヴィアの崩壊を考える」
という本を越村勲氏と共著で書かれています。
複雑なユーゴ現代史について映画を読み解きながら語られた本です。
クストリツァ作品に興味のある人にも、
ユーゴ崩壊を多角的な視点で知りたい人にもお薦めです。
「俳句HAIKU」はヤドランカの代表作のひとつであり、
旧ユーゴの人達にとても愛されている作品。
次回も引き続き、この作品についてお話したいと思います。
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