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【コラム】 Vol.8 映画「サラエヴォの銃声」 (2017.3.30更新)

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【コラム】 Vol.21 「風の環の歌」湯川れい子さんのこと (2021.4.26更新)



「Hvalaフヴァーラ」 アルバムこぼれ話 Vol.21
「風の環の歌」湯川れい子さんのこと
(2021.4.27更新)


ヤドランカの歌う「風の環の歌」のCDは
神渡良平著「風の環 武藤順九の宇宙」の特別付録として
2009年11月にPHP研究所から発売されました。



作曲はヤドランカの友人、渡辺俊幸さん。
そして作詞は湯川れい子先生。

湯川先生は、ご自身の主催されるイベントやコンサートに
ヤドランカを幾度となく招聘し、長年にわたり、
彼女を応援していらっしゃいました。

ヤドランカの日本での最後のコンサートは
2011年3月3日 渋谷のJZブラットで開催された
湯川先生プロデュースの「Heartful Day vol.3 〜大人のための雛祭り〜」
WFP 国連世界食糧計画支援のチャリティー・コンサートでした。


この頃のヤドランカは脚を動かすことがかなり辛くなっており、
杖なしでは歩けないほど。
でも、この日ステージにあがると、
湯川先生がヤドランカを評する時おっしゃる“母なる大地の声”で
いつものように会場をあたたかく包みこんだのでした。


歌姫ヤドランカ...
あの夜、彼女の体調を心配していた私も、ステージにいる彼女の歌に
いつの間にか、浸っていた一人です。

そして、その8日後、東日本大震災が日本を襲います。
まさか、2011年3月3日が日本での彼女の最後のコンサートになると、
あの時誰が思っていたでしょう。

震災後、3月末にヤドランカは周囲の勧めもあり、
元々5月にクロアチアでのアルバムプロモーションに行く予定を早め、
長期の予定で出国をします。二度と日本に戻れなくなるとは想像もせずに。


出国まで、遡ること一年にわたり、
脚の不自由なヤドランカを支え続けたのが
身体哲学道場湧気塾の勇ア賀雄先生と森菜旺未先生(現、森千恕先生)。
コンサートツアーにも同行し、ヤドランカの体のメンテナンスを担ってくださいました。
献身的なケアはヤドランカにとって大きな支えだったはず。
お二人をヤドランカに紹介したのも、湯川先生。


ヤドランカは私に言っていました。
「湯川さんは本当に”いい魔女“」
当時、“美魔女”という言葉が世間で、はやり出した頃。
ヤドランカはそういう意味も込めていたとは思いますが、
湯川先生のことを作詞家、音楽評論家としてリスペクトしたうえで、
凡人を超越した”魔女“という言葉を使ったのでしょう。
実際に湯川先生にお会いすると、周りを導いて行くリーダーとしてのパワー、
そして人としての美しい生き方に、感銘を受けます。


ヤドランカが湯川先生に贈った絵 

ヤドランカはその後、クロアチアの病院でALSと診断され、
祖国ボスニアでの療養に入り、二度と日本に戻ることが出来なくなりました。
日本では、複数の大きな病院で検査を受けたのですが、原因不明でした。

もし、もっと早く日本でALSの診断がなされていたら...
時々そう考えます。
でもヤドランカが日本で療養していたら、
彼女の帰国を待ち望んでいた祖国の人々の元へ行くことは難しかったでしょう。
果たしてどちらが良かったのか。

ボスニアで療養生活に入ったヤドランカを
祖国の人々は温かく迎えます。
「私達の真珠が戻って来た!」
そう喜んだそうです。

ボスニア・ヘルツェゴビナには内戦後も未だ民族間のわだかまりがあります。
ヤドランカは民族を超えて人々に愛され続けている稀有な存在。

ヤドランカは生前、祖国での美しい思い出を懐かしそうに語っています。
アドリア海の海や自然の中で育ったこと、
そして旧ユーゴ時代、多民族が融合していた国際都市サラエボで
コスモポリタンとして教育を受けて来たこと...
いろんな国を旅し滞在してきたことが今の自分を形作っていると。

湯川れい子先生作詞の「風の環の歌」の詩を改めて読むと、
風はヤドランカ自身なのではないかと思えてきます。

♪風は森で生まれ
  風は海で育ち
   山を越えて 川に添って
    町を渡るよ

 風は歌を唄い
  風は花をゆらし
   羊たちや子馬の背を
    優しく撫でて過ぎる

 国を越えて
  言葉を越えて
   人と人に語りかける
    風は地球の旅人・・・だから〜 (部分抜粋)

病に倒れても、ヤドランカは常に希望を失いませんでした。
彼女の発する言葉は、逆に祖国の人々を勇気づけます。

日本のように医療保険制度が整っていない祖国では
ALS患者には莫大な医療費がのしかかります。
彼女を救うため、国中の人が彼女のチャリティーコンサートに足を運び、
彼女を救うために、その印税が治療費にあてられるヤドランカの半生記を
多くの国民が購入します。
本を購入した人たちは彼女のfacebookページに本を手にした写真をアップしました。
そういった人々の行動も、国民の心がひとつになったことの表れではないか。
そう思うと、彼女が祖国に帰りそこで療養をしたことには意味があったのかも。
運命の神様は良きように導いたのかもしれません。



ヤドランカのお別れ会4日目の7月24日 湯川先生の挨拶

日本にいる私やヤドランカの仲間たちは自分達に出来る形で
ヤドランカを思い続けます。
アルバム制作もその一つの方法。
湯川れい子先生は追悼盤制作においても、その後のお別れ会でも、
多大な協力をしてくださいました。

「本当にいい魔女」

ヤドランカの言葉が聴こえてくるようです。
次回は風の環プロジェクトや武藤順九さんのことを。


 
追悼盤
「Hvala フヴァーラ 〜ありがとう ヤドランカ・ベスト」


ニューアルバム
「シュトテネーマ〜あの歌が聴こえる〜」

日本コロムビア ご試聴・ご購入サイト
https://columbia.jp/artist-info/jadranka/discography/album.html


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