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「Hvalaフヴァーラ」 アルバムこぼれ話 Vol.1〜 10
「Hvalaフヴァーラ」 アルバムこぼれ話 Vol.11〜20
「Hvalaフヴァーラ」 アルバムこぼれ話 Vol.21〜24


「Hvalaフヴァーラ」 アルバムこぼれ話  Vol.16
ベイビー・ユニバース BABY UNIVERS
ある出会いから生まれた作品(2020.9.16更新)

アルバム「Hvalaフヴァーラ」の5曲目に収められた「ベイビー・ユニバース」は
1996年に発売されたアルバム「baby universeベイビーユニバース」の中の同名の一曲。

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アルバム「ベイビーユニバース」

この作品を追悼盤に収録に収録することにしたのは、A&Rを担当したコロムビアレコードの野村均さんが
「ポップスとして完成度が高く、素晴らしい作品だからこれは是非入れるべき」
そう強く推したことが、まず一つの理由。

野村さんはかつて新星堂のレーベル、オーマガトキの社長をされていました。
オーマガトキは現在、コロムビアのレーベルとなっていますが、
ヤドランカが日本で活動を始めた頃、何作か彼女のアルバムを制作しています。

ヤドランカの追悼盤を企画した際、偶然共通の知り合いを介して野村さんと繋がり、彼の協力でコロムビアからの 発売が決定しました。
野村さんとの出会いは、何か目に見えない力が働いたかのようでした。
乗り越えなければならない困難も多々ありましたが、メジャーレーベルから理想の形で出せた追悼盤
「Hvalaフヴァーラ」は多くの方々のヤドランカへの想いの結晶のようにも思えます。
アルバム制作時のことはまた、別の回で書きたいと思います。

さて、もう一つ、「ベイビー・ユニバース」を追悼盤の収録曲に選んだ理由があります。
それは、この作品にはヤドランカ自身が作品名をアルバムのタイトルにするくらい強い想いがあり、
そのことを改めて形にして残したいと思ったから。
実はここにもある出会いが存在しているのです。

1988年イギリスの宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士が出版した「ホーキング、宇宙を語る」が 当時、世界中で話題になりました。
この本は難解な理論的宇宙論を一般の人にも分かるよう平易に解説されたもので、
彼の理論「ブラック・ホールとベビー・ユニバース」について書かれています。


<wikipediaより>

ものすごく簡単に説明するなら
「ブラックホールでは、あらゆるものが押し潰され、人の身体も跡形もなく消えてしまう。
でも、“虚時間”という別に生まれた宇宙(ベビーユニバース)があり、
ブラックホールを抜け出して身体はなくても そこに到達するものはある」
という理論。

この理論を当時、武力包囲されたサラエボの街にあてはめ、
「サラエボはブラックホールに吸い込まれてしまった。でもそこにはベビー・ユニバースという別の宇宙があり、今までとは違った形でサラエボ市民は存在しているのだ」
そうヤドランカに語った人物がいました。
彼女の名は、スアダ・カピッチさん。
彼女はサラエボで、プロデューサーグループFAMAを主宰していました。

1993年秋、スアダさんはFAMAの仲間と共に、“ブラックホールの中にあるサラエボの人々の暮らし”を世界に伝えるため、ミシュランのガイドブックのデザインを模した「サラエボ サバイバルガイド」を発行しました。


1994年4月東京で、この「サラエボ サバイバルガイド」の出版前のテキストや写真を使った展覧会を開催したのが 実験的・制作機関であるP3 art and environmentです。

これがきっかけとなり、日本語版「サラエボ旅行案内」が三修社から出版されることになり、スアダさんは敵対する兵士に包囲されたサラエボ市内から空港へ、地下に掘られた秘密のトンネルを抜け、来日しました。


FAMA H.P
http://famacollection.org/eng/fama-collection/fama-original-projects/about-fama/index.html

来日したスアダさんとヤドランカはこの時出会います。
二人を繋げたのは、三修社の長谷寛さんと、展覧会を企画制作したP3の伊藤忍さん。

1991年にボスニア紛争が勃発し、来日中のヤドランカは帰国することができなくなりました。
旧ユーゴスラヴィアは崩壊し、難民となっていたヤドランカに 1995年、パスポート代わりの再入国許可証が発行され、紛争後初めて帰国。
ヤドランカは変わり果てた祖国を目にします。
祖国の人々を勇気づけたい。
スアダさんの語る“ベビーユニバース”への想いにも共鳴していたヤドランカは 作品「ベイビー・ユニバース」を作詞作曲し、1996年に同名のアルバムを発表したのです。

英語で書かれた詞の日本語訳は伊藤忍さんが手がけています。

  またきっとよくなる
  すべてが閉ざされたときに、自分の道を切り開く
  歌は短いけれど、あなたの心を変える
  もしもあなたがまだ信じることが出来るなら

メロディは明るく希望に満ちあふれ
Cobaさんのアコーディオンが作品をより魅力的にしています。
暗い時こそ、人は明るい方へ、明るい方へ向かっていくべきものなのでしょう。

アルバム「baby universeベイビーユニバース」は収録されている作品の素晴らしさだけでなく ブックレットのデザインにヤドランカの絵画や写真のコラージュが多数使用され、彼女の画家としての感性も のびのびと表現されているアルバムです。
それは画家としてのヤドランカも支えた伊藤忍さんとの出会いも作用したのでしょう。

2016年5月3日にヤドランカはALSによる呼吸不全で逝去。
同年7月24日より四日間、ヤドランカのお別れ会を兼ねた「ありがとうヤドランカ展」は 実行委員会のメンバーでもある伊藤さんの協力で
P3 art and environmentで開催されました。


ヤドランカの絵の展示の一部

P3のサイト
http://www.p3.org/

人は皆いろいろなところで、いろいろな出会いを持ちます。
ヤドランカから「ベイビー・ユニバース」が生まれたように、それぞれの出会いから数えきれないほどの 何かが生まれているのでしょう。

今は世界中、新型コロナウィルスの影響で人と人との蜜な接触は控えなければならない状況にありますが それでも、人はいろんな方法で誰かと繋がっていくのです。
新しい宇宙は常に私達を待っています。


*注 文中「Baby Universe」の「Baby」のカタカナ表記はホーキング博士の理論は「ベビー」とし、ヤドランカの作品名は「ベイビー」としています。



追悼盤 「Hvala フヴァーラ 〜ありがとう ヤドランカ・ベスト」 日本コロムビア ご試聴・ご購入サイト https://columbia.jp/artist-info/jadranka/discography/album.html


  
日本コロムビア ご試聴・ご購入サイト


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